初代の加藤久一が戦争に召集された際、全国各地から招集された若者の中に山形県出身のりんご農家の仲間がいました。

親交を深め互いの郷土の話をするうちに、りんご栽培に関心を持ち始めたそうです。

帰郷した折にはりんご農家として再出発すると決め、自身の生涯の夢として栃木県のりんごを世に出すことを決意しました。

帰還後の昭和22年に作付面積3反歩にてスタート。

当時はりんご栽培未開の栃木県で実ることは無いといわれたりんご。周囲の目は冷たかったそうです。

見通しも立たない不安な出発ではありましたが、この地はりんご栽培に適しているという信念のもと、何度となく隣県の知人を訪れ研究を重ねついに昭和27年にりんごの花が咲き、秋には真っ赤なりんごが実りました。

やがて仲間も増えていき、この地が関東有数のりんごの産地になって現在に至ります。